船形連峰の西に位置する「黒伏山」は「くろぶしやま」が正しいが、つい「くろぶせやま」といってしまう。東北唯一の岩壁で落差300mほどある。
20歳台によく通った所である。
その南壁中央ルンゼは無雪期にたびたび登っていたが、冬にも登りたいと思って3回出かけた。そのたびに岩壁の取り付きをすこし登っただけで帰ってきた。
天候のこともあったが、冬の登攀知識、技術がとぼしく力不足であった。
1974年暮れからの正月休み、ヒマラヤ登山を予定している8名ほどのメンバーで黒伏山で合宿を実施することになった。24歳の時である。
私は仕事の都合で皆より遅れて一人入山した。
「核心部」と呼ばれるルートの下で「たるみ」とか「10人テラス」とか呼ばれる暖斜面(と言ってもロープ無しで歩ける所ではない)に、すでにテントが張られていて、登っていった私を迎えてくれた。
核心部とはルートで一番難しい所などを表現する言葉である。
通常はテントなど張らないが、ヒマラヤ登山を想定しての訓練で、寝る時もザイル付きのままだ。
私が下から岩壁基部に向ってラッセルしている様子は上から丸見えで、上に着いたら「すくそばを熊が通ったぞ!」と言われた。
その時は「そうだったか~」と思ったが、熊は冬眠中のはずなのでカモシカではなかったかなと、今はそう思う。
テントに着いてすぐに「次はお前だ」と言われて、翌日からトップをすることになった。1月4日、朝6時頃にテントを出て登攀となった。
詳細に書いていくと、長くなるので今日は簡潔にする。
結論から言うと、全ルートを完登して稜線に出たのは真夜中の12時頃であった。
下から稜線を回って登り迎えてくれたメンバーに「おめでとう、よくやった」と言われてポットの温かい飲み物を頂いたのと、翌朝は手が凍傷の為に靴の紐が結べなかったことを覚えている。
なぜ、こんなに時間がかかったか・・であるが、経験、力不足はまず前提にして、要因は「チリ雪崩」の為であった。
チリ雪崩とは小雪が降ると壁伝いに寸断なく雪が流れることである。
じっとしていると肩やヘルメットに三角状に積もってしまう。
核心部付近は氷が張り出ていて、そのハング状を乗っ越した頃から小雪が降り続いた。
手元や足元を雪が流れていて、ホールド(手がかり)、スタンス(足の置き場)やハーケンを打つべきリス(小さな割れ目)を探るのにかなり時間を要した。
ちょっと進んでは戻ることを際限なく繰り返した。
後方でザイル確保してくれている二人に「代わる?」と何度かトップ交代を呼びかけたが、「行って」と言う返事で結局代わることはなかった。
トップ交代もままならない状況であって、確保する側も支点に立ったままで長時間支えてくれた。
それから34年の今年1月、雪山講座でスキー場から黒伏山に続く柴倉山に登った。
画像はその時に撮影したもので、赤線は、おおよそのルート説明の為に書き入れた。
年末年始になると思い出すのは、この黒伏山や、北岳バットレス、富士山山頂、幕岩(唐沢岳・北アルプス)、八ヶ岳など、冬の登攀で過ごした若い日々のことである。
その1つ1つが、ヒマラヤを登る為に通過しなければならなかった「関門」だった様に思う。








