5月は、良い季節で8回の開催を予定。
以前、野山予定で「23日金」と書いたが、5月23日(日)に訂正。
他の予定は、前回のブログを参照。
準備事項は、虫が出るので「虫よけ用品、ネット、軟膏など」を用意。
報告は4つ。
4月9日は、以前から懸案だった赤石三山(あかいしさんざん)の一つ、鹿ノ上山(かのかみやま)へ。
10年位前に道の無い急斜面を藪漕ぎで登ったことがあり、登山道は無いと思っていたが「あるようだ」との情報で登って見た。
それと「さいかち南エリア」から見える鹿ノ上山が、「太白山」と間違い易いので、皆さんに登って知ってもらおうとの考えもあった。
登って見て、登山道と言うより林道終点から奥の杉林から尾根筋に通じる岩混じりの踏み跡だった。
集落から反対側の北側からとは、里山には珍しいルートだった。
山名も麻ノ神山、簾上山などが、古文書などに複数見られることも面白い。
天候不安定で山頂では小雪混じりの風だったが、それも思い出となった。
ニリンソウなど、花がある谷だったことも分かった。
この山は往復短時間だったので隣の中の森(愛宕山)も登った。
11日(日)は「秋保(あきう)の大倉山」を安達古道から登った。
14日水は笹倉山(七つ森)へ。カタクリの群生を見た。
対峙する七つ森を見て、亀石(立派になっていた)を通過、
その後に、達子森(たっこもり)まで行って湖畔の桜を見て、
帰路に芋沢の大國(おおくに)神社の散策路を歩いた。
17日土は、小雨の中、さいかち北エリアを歩き、大岩下の小屋で雨宿りをしながら昼食。
「雨の日も楽し」という気持ちなれたら、本当の山好きだ。
とのフレーズは、拙著「安全登山のすすめ、P99」に書いた。
面白図鑑 No106、ヒトリシズカ、一人静、または吉野静とも書く。
この時期、群生を各所で見た。
この画像は、鹿ノ上山の谷。
シズカとは、静御前のことのようだ。
源義経の妻?と思ったら妾(めかけ)の一人で、あわれな運命と踊る様を見立てて「ヒトリ」と表現しているようだ。
因みに、義経の正室(妻)は、武蔵野国の豪族の娘、郷(さと)御前で、頼朝の命により嫁いだようだ。
逃避行で平泉まで従い、最後まで共にして娘とともに自害したようだ。
平泉町金鶏山の千手堂に義経妻子(娘)の墓がある。
出生は分かっているが、消息は不明。
静御前も捕まってから、鎌倉まで連れて来られて以降は不明だ。
宮城県では、秋保と鳴子の両方に「静御前」の伝説がある。
郷御前、蕨姫とも武家の娘で、静御前は母ともに白拍子(しらびょうし、歌、舞を披露する芸人)であったことが要因かも知れない。
花の名前から、思わぬ歴史に触れた。
ヒトリシズカは、園芸種、鉢植えもあるので日本名が影響したかも知れない。
そのことも面白い。
以上。