東北アウトドア情報センター(略称・TOI とい)

TOIの活動報告、行事予定、面白花図鑑連載中。 東北アウトドア情報センター(TOI)ホームページ (発足からの活動、資料、各情報など) http://toi2015.o.oo7.jp/ 旧ブログ ~2019.3 TOIprのブログ http://toi09.cocolog-nifty.com/blog/ 記載者 八嶋 寛

2021年04月

5月は、良い季節で8回の開催を予定。

以前、野山予定で「23日金」と書いたが、5月23日(日)に訂正。

他の予定は、前回のブログを参照。

準備事項は、虫が出るので「虫よけ用品、ネット、軟膏など」を用意。

 

報告は4つ。

4月9日は、以前から懸案だった赤石三山(あかいしさんざん)の一つ、鹿ノ上山(かのかみやま)へ。
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10年位前に道の無い急斜面を藪漕ぎで登ったことがあり、登山道は無いと思っていたが「あるようだ」との情報で登って見た。

それと「さいかち南エリア」から見える鹿ノ上山が、「太白山」と間違い易いので、皆さんに登って知ってもらおうとの考えもあった。

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登って見て、登山道と言うより林道終点から奥の杉林から尾根筋に通じる岩混じりの踏み跡だった。

集落から反対側の北側からとは、里山には珍しいルートだった。

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山名も麻ノ神山、簾上山などが、古文書などに複数見られることも面白い。

天候不安定で山頂では小雪混じりの風だったが、それも思い出となった。

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ニリンソウなど、花がある谷だったことも分かった。
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この山は往復短時間だったので隣の中の森(愛宕山)も登った。

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11日(日)は「秋保(あきう)の大倉山」を安達古道から登った。

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14日水は笹倉山(七つ森)へ。カタクリの群生を見た。
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対峙する七つ森を見て、亀石(立派になっていた)を通過、
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その後に、達子森(たっこもり)まで行って湖畔の桜を見て、
帰路に芋沢の大國(おおくに)神社の散策路を歩いた。

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17日土は、小雨の中、さいかち北エリアを歩き、大岩下の小屋で雨宿りをしながら昼食。

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雨の日は、装備の点検、準備など気づくこともある。

「雨の日も楽し」という気持ちなれたら、本当の山好きだ。

とのフレーズは、拙著「安全登山のすすめ、P99」に書いた。

 

面白図鑑 No106、ヒトリシズカ、一人静、または吉野静とも書く。

この時期、群生を各所で見た。

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この画像は、鹿ノ上山の谷。
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シズカとは、静御前のことのようだ。

源義経の妻?と思ったら妾(めかけ)の一人で、あわれな運命と踊る様を見立てて「ヒトリ」と表現しているようだ。

因みに、義経の正室(妻)は、武蔵野国の豪族の娘、郷(さと)御前で、頼朝の命により嫁いだようだ。
逃避行で平泉まで従い、最後まで共にして娘とともに自害したようだ。

平泉町金鶏山の千手堂に義経妻子(娘)の墓がある。

 義経には妾が、もう一人、平時忠の娘、蕨(わらび)姫が居た。

出生は分かっているが、消息は不明。

静御前も捕まってから、鎌倉まで連れて来られて以降は不明だ。

宮城県では、秋保と鳴子の両方に「静御前」の伝説がある。

 通過したとすれば、むしろ「郷御前」だが、なぜか静御前だけが有名で各地に伝説がある。

郷御前、蕨姫とも武家の娘で、静御前は母ともに白拍子(しらびょうし、歌、舞を披露する芸人)であったことが要因かも知れない。

花の名前から、思わぬ歴史に触れた。

 中国語では、ネット情報で「静香一 jin4xia1ngyi1ジンシャンイー」と出たが、本来の中国名か、どうかは分からない。

ヒトリシズカは、園芸種、鉢植えもあるので日本名が影響したかも知れない。
そのことも面白い。
以上。

 

5月の予定をお知らせします。

野山ウォークは、5月1日土、5日(水、休日)、8日土、15日土、23日日、28日金。

講座(フラワートレック)は、5月12日水、19日水。(希望により追加もあります)

野山ウォークは、希望により場所を変えて、やや遠方に行く場合があり14時を過ぎることもありますので、帰宅時間に余裕を持って参加願います。

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活動報告

4月3日金は、秋保(あきう)工芸の里、駐車場から登り、北山へ。

途中、班分けしたので山頂での画像は無い。

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尾根の登り口にあった古い標識には、住所が川崎町、支倉字大●沢山とあった。

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山名など、気になる点があったので面白図鑑として書いて見た。

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面白図鑑 No.105 碁石(ごいし)の北山と地図3点

4月3日に登山した山は「秋保(あきう)の北山」と言った方が分かり易いかもしれないが、南にあるので「北山はおかしい」と思ったので調べて見た。

次の地図は大正時代発行で漢字を右から書いた時代の、明治時代測量の地図である。

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主要な山々が表記されていて、この北山もある。

標高は359で、現在の364とは違うが間違いない。

この地図では、そう多くの山名は表記されていないが、「北山」は表記すべき重要な山であった様だ。

山は「川、河」と同様に、地理、地勢を表す地図上では大事な基本情報である。

次の地図は、国土地理院のインターネットからの地図なので最新情報である。

ここでも明確に表記されている。

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因みに、大正時代の地図は著作権は、もう50年以上過ぎているので、問題無いと思う。
国土地理院地図は「地理院地図」を表記すればよいことになっているので、そのように表記した。

さらに次のアップした地図では、麓の川沿いに学校のマークがあった。

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「小学校」の文字は、私が入れた文字だが、ここは現在「川崎町富岡小学校」で、2012年までは「碁石小学校」だったが、支倉小学校と併合して富岡小学校となった。

この付近は、車ではよく通るが碁石川周辺のことが、すこしわかった。

旧碁石小学校の校歌までは調べていないが、碁石川と北山のことが入っているかも知れない。

これからは、「碁石の北山」と呼ぶことにする。

 

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